再放送禁止?火垂るの墓の都市伝説に隠された5つの意味

再放送禁止?火垂るの墓の都市伝説に隠された5つの意味
野坂昭如原作で、スタジオジブリによってアニメ映画として公開され、テレビドラマにもなった、「火垂るの墓」。何も知らないアメリカ人の若者が見ると、トラウマになるともっぱらの噂ですが、大体お盆の季節になるとテレビで放送されていたこの作品も、何故かあまり再放送されなくなってきましたよね。

そこで今回は、この名作と名高い「火垂るの墓」に隠された、5つの都市伝説についてお伝えします。

実は、妹を死なせて生き延びてしまった兄

「火垂るの墓」の主人公・清太は、作者である野坂昭如の少年時代がモデルです。そして、清太の妹である節子は、野坂氏の妹である恵子がモデル。とは言え、作品と異なり、恵子は一歳ちょっとの乳児でしたが。

野坂氏は、西宮の親戚の家に滞在している間、その家の娘に恋心を抱き、自分が面倒をみなければならない恵子を疎ましく思っていたとか。泣き止ませる為に叩き、脳震盪を起こさせたこともあるそうです。西宮から福井に移った後は、食糧事情も悪くなり、恵子に碌な食べ物も与えず、彼女は餓死してしまいました。

野坂氏は、彼女の鎮魂と贖罪から作品を書いたと言われています。清太は妹思いですが、野坂氏自身、自分がそういう人間ではなかったと、「ぼくはせめて、小説「火垂るの墓」にでてくる兄ほどに、妹をかわいがってやればよかったと、今になってその無残な骨と皮の死にざまを、くやむ気持が強く、小説中の清太に、その想いを託したのだ。ぼくはあんなにやさしくはなかった」と語っています。

ただし、野坂氏の作品が教材に取り入れられるようになった後、野坂氏の娘が学校で「この作品を書いた時の作者の気持ちはどういうものか」という宿題を与えられたので、父親の野坂氏に聞いたところ、「締め切りに追われ、ヒィヒィ言いながら書いた」と返事をされたとか。あまり、作者に人格性を求めるのは野暮なのかもしれません。

 

大金を持ちながら餓死した清太の謎

親戚の家に身を寄せながらも、妹と共に家出し、畑泥棒を繰り返しながら、悲惨な生活を送った清太たちですが、ここで謎が。実は、彼の家の財産として、預金口座に7000円の残高がありました。現在で言えば1000万円相当になります。もっとも、戦後直後当時はGHQ(連合国軍総司令部)統治下で、日本政府の大蔵省が、戦時中の借金を返す為に口座凍結と新円切り替え処置を行ったので、引き出そうとしてもタイミング悪く引き出せなかったかもしれません。

原作では、実話でもある妹の粉ミルクを飲んだ清太ですが、もう少し考えて行動すれば、餓死しなくて済んだかもしれません。どうしてかと言えば、清太の父親は重巡洋艦の艦長で、言ってみればエリート中のエリート。艦長の息子なんて当時は絶対に餓死しません。

宮﨑駿監督も言っていますが、野坂氏が餓死しなかったように、当時の日本は徹底的な階級社会です。戦友会という、海軍の軍人がつくった民間団体があって、戦後も海軍士官やその家族たちを支え、助けていました。

清太が住んでいた神戸軍管区が空襲を受けたら、その軍管区の海軍士官が必ず艦長の息子の安否を探り、母親が死んでいたら面倒を見る為に世話をしたはずです。清太が、そういう階級社会のうまみ…いえ、そういう仕組を知っていたら、妹を餓死させることもなかったわけです。

 

お涙頂戴の話

…何も「火垂るの墓」に文句をつけているわけではありません。畑泥棒に火事場泥棒をし、また、靴磨きなどの当時の少年達が行っていた仕事にも就かなかった清太ですが、しかし、彼の物語は見る人に訴えるものがあります。

野坂氏は、映画「火垂るの墓」を見て、妹思いの兄として描かれている清太(上にも書きましたが、妹を死なせて生き延びた野坂氏自身がモデルです)の姿に号泣したとか。また、太平洋戦争で勲章をもらった、元アメリカ軍人の孫娘が「火垂るの墓」を観た後、泣きながら「節子が死んだ。お祖父ちゃんが殺したんだ」と詰め寄った話もあったそうです。

 

節子の死因

さて、原作でも、アニメ映画でも「節子は栄養失調で死んだ」となっていますが、実は、意外な話があります。原作には、「水筒の水で『こっちはきれいやからな。』手ぬぐいの一方の端湿らせて清める、『眼エ痛いねん。』煙のせいか赤く充血していて、…」という文章があります。

アニメ映画にも、財布からおはじきを取り出したシーンで、雨が振り、その雨が節子の左目に入るシーンがあります。節子が左目をこする場面もありますし、親戚の家に身を寄せていた頃にも、節子にあせもが出来ているシーンもありますね。それこそ、ただのあせもでしょうか? 実は、そこに細かい事実が。

清太の母が死んだ空襲は、原作によれば六月五日で、米軍の資料でも、その日の空襲は、焼夷弾による爆撃でした。清太の住む、神戸の御影地区は海の近くで、アニメでも一旦海に出て、川(石屋側)を上っています。節子の左目に雨が入った直後のシーンは、原作の文章と合わせて、簡単に場所が特定出来ます。

空襲で破壊された石屋川駅と御影公会堂の近くにある、二本松の所。この二本松で、清太は母と待ち合わせをする事になっていました。風向きは西向き。それじゃ、海の近くの川(石屋川)の西側の対岸には何があったかというと、その直前の空襲で破壊された、海軍管理の重化学工場の密集地がありました。

ただの栄養失調なら、そして、妹思いの兄なら、恐らく、先に栄養失調の症状が出るのは清太。しかし、節子は、重化学工場が炎上して、どんなガスが含まれているか分からない煙とススの中を降った雨が体内に入って、皮膚が炎症を起こしていました。その為、兄よりも早く衰弱し、栄養失調の症状が出たわけです。

 

「となりのトトロ」と同時公開の謎

これにも都市伝説が。暗く、救いのない「火垂るの墓」のショックを和らげるために、わざとほのぼのとした感じの「となりのトトロ」を併映したのだとか。

 

さて、原作者の野坂昭如氏は、色々なエピソードを残すユニークな作家で、また、原作を読み込んだ監督の高畑勲氏も作品をちゃんと理解した上で物語を描いていることが分かりますよね。

どうして清太と節子は死ななければいけなかったのか。それは、決して「戦争に巻き込まれた、可哀想な兄妹」のお涙頂戴の物語ではありません。作者が泣いてしまったように、野坂氏すら気づかなかった物語の本質を、「火垂るの墓」は描いているのです。自分たちの死因は自分たちにある。なるほど、そう考えると、再放送をあまりしなくなる理由も分からなくないでしょう。

まとめ

再放送禁止?火垂るの墓の都市伝説に隠された5つの意味

  • 実は、妹を死なせて生き延びてしまった兄
  • 大金を持ちながら餓死した清太の謎
  • お涙頂戴の話
  • 節子の死因
  • となりのトトロと同時公開の謎

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