もののけ姫の都市伝説がひも解く☆宮崎駿の7つの想い

もののけ姫の都市伝説がひも解く☆宮崎駿の7つの想い

宮﨑駿監督のヒット作、「もののけ姫」。「天空の城ラピュタ」や「風の谷のナウシカ」のような、どちらかと言えばファンタジー色が強かったジブリ作品の中では異色の、和風の作品です。しかし、「もののけ姫」には秘密がいっぱい。一見して分からないような事でも、実は説明されていないだけで、そこには重要な事が描かれているのです。そこで、都市伝説が物語る、「もののけ姫」で描かれた宮﨑駿の七つの想いとはなにか、まとめてみました。

 

もののけ姫の都市伝説がひも解く☆
宮崎駿の7つの想い

 

後のトトロがいた

「もののけ姫」のコダマ。彼は実は木のいのちのビジュアル化で、森が破壊されると大量に死んでしまいます。ラストで、最後に一人ぼっちのコダマが残りますが、実は彼は、後にトトロに進化するのだとか。宮崎監督は、コダマが数百年後にトトロになるというイメージで「もののけ姫」をつくったとのこと。「それ(最後のコダマ)がトトロに変化したって。耳が生えたっていうの、どうですかね」と、宮崎監督は話したとか。トトロは木霊、つまり樹の精霊だったんですね。

 

タタラ場はハンセン氏病患者収容施設

宮崎監督は、実はびっくりするような事をモチーフに作品設定をつくっていたりします。これも、その一つ。タタラ場というのは製鉄工場で、タタラは明治以前までの日本の製鉄技術の主流。純度の高さと質から、タタラは寺や大名によって保護されましたが、技術が大掛かりなので、タタラ場にはちょっとした村ぐらいの数の人々がいました。

更に、木炭をつくる為に山の木々を伐り、山の土を川に流して砂鉄を採る作業をしていた為、下流の農民と仲が悪かったのです。「もののけ姫」でも、タタラ場の近くはハゲ山として描かれていますが、実は日本の原生林が弥生時代に思いっきり減ったのは、タタラ場で働く製鉄民が伐った為だとか。そして、タタラ場は女人禁制なのですが、実は室町時代の絵巻に女性職人が描かれていて、宮崎監督はそれを拾って設定に生かしているわけです。さすが監督、芸が細かい。

そして、タタラ場は、同時に農村から追い出された、偏見の目にさらされた人たちの逃げ場でもありました。作品中にも、「包帯が巻かれた人たち」が登場しますが、日本でもかつて隔離された、ハンセン氏病患者の人たちだと思われます。当時、タタラ場は、製鉄の時に、火を見過ぎて目が潰れたりする人も多く、また、農作業に向かない奇形の人たちが生きていける場でした。

 

ナゴの守は何故タタリ神となったのか?

冒頭で、アシタカの村を襲ったのは、シシ神の森に棲む猪一族の長「ナゴの守」です。ナゴの守は、エボシ御前に鉛玉を撃ち込まれて、死の恐怖と恨みでタタリ神になりました。白内障を煩っている「乙事主」は、齢五〇〇歳の巨大な猪神。エボシたちに対し、猪族を率いて攻め寄せますが、敗けてしまいます。

この攻撃の時、猪たちの群は泥水に浸かって体をくねらせ、互いの体に泥の白丸を描きます。実はこれ、沖縄・宮古島の島尻に伝わる祭がモチーフ。その祭では、神聖な泥水に浸かった男が、里に降りて幸福をもたらすそうです。その泥水を「ニタ(ニッジャ)」と呼ぶのですが、実はこの言葉、猪が虱を取るために体を浸ける(「ニタをうつ」と言う)場所を指すのだとか。

つまり、虱を取るように、人間に逆襲する決意を示してたんですね。ちなみに、エボシは当初の案ではモロに殺される予定だったのですが、色々と議論があって、劇中の結果になったとか。

 

山犬のモロと、もののけ姫のサンの関係は?

実は、日本では元々山犬は田の神です。作品のように狼を山犬として崇めていたのですが、やがて、犬や狐だと考えられるようになりました。それが今のお稲荷さんです。お稲荷さんは地主神、つまり土地の守護神なので、土地開発が進んでも、社が移されることは滅多にありません。

山から下りてきて田畑を荒らす甲神、つまりサルや、猪などに対して、山犬は人を守る神として崇められたわけです。有名な、犬猿の仲というのはここから来ているんですね。劇中には、猩々(しょうじょう)と言われるサル神が登場しています。人間に侵された森を回復しようと、木を植えているのです(ちなみに、猩々とはオランウータンの事です)。

で、もののけ姫のサンは、山犬のモロに捧げられた生贄。しかし、モロはサンを食べず、人間として育てました。サンの服や面などは、皆縄文人の姿です。自然と共生していた縄文人を、モロは認めていたわけです。もっとも、監督によれば、モロと乙事主は、かつては良い関係だったとか。人と関わって、仲がこじれたわけです。

 

アシタカはエミシ?

アシタカの住む村はエミシ村。エミシというのは、平安時代ぐらいに朝廷によって制圧された、関東地方や東北地方に住む、狩りをなりわいとする人たちです。昔は、エミシはアイヌと言われていましたが、どうやら違うようです。ただ、アイヌと同じ、縄文人系の集団だったと言われています。アテルイなどの英雄が朝廷の軍と戦ったのですが、負けてしまい、歴史の中に消えていきました。アシタカの村は、その数少ない生き残りの村だったのでしょう。つまり、サンとアシタカの出会いは、縄文人同士の出会いだったわけです。

宮崎監督は、「もののけ姫」を、「アシタカ聶記(せっき)」に変えようとしたのですが、鈴木敏夫プロデューサーは「もののけ姫」のままが良いと考え、監督の指示を無視して強行したそうです。ちなみに、アシタカを「あにさま」と呼ぶ少女カヤは、アシタカの妹ではなくて許嫁です。

 

シシ神とディダラボッチの謎

神々の王、シシ神の夜の姿がディダラボッチです。シシ神の設定には、「生命の生死を司り、新月に生まれ月の満ち欠けと共に生死を繰り返す」とあります。劇中での描写を見ても分かる通り、一種のエネルギーの集まりみたいな存在です。自然の力そのものと言えるでしょう。監督のイメージでは、ディダラボッチは夜そのもの、「夜が歩いているように」というのがモチーフでした。

ディダラボッチ(だいだらぼっち)という巨人の伝承は日本全国にあり、「富士山をつくる為に山梨から土を運んだ。だから甲府盆地が出来た」という伝説が残るなど、国づくりを行った神だとされています。アシタカとサンの活躍で、礼儀を尽くして人がシシ神の首を返すことで、シシ神=ディダラボッチは共生相手として人を認め、タタラ場を破壊しなかったのです。

 

着想は「ギルガメッシュ叙事詩」

宮崎監督は、「もののけ姫」の着想を、「ギルガメッシュ叙事詩」から得たと言っています(実は、映画となった「もののけ姫」とは別に、ジブリによる、テーマもストーリーも別な、プロトタイプの「もののけ姫」という絵本があります)。ギルガメッシュ叙事詩とは、五千年前の中東の詩で、キリスト教の聖書にも影響を与えました。

ストーリーを紹介しますと、まずウルクの王ギルガメシュが、親友と共に、人間の世界を広げるためにレバノン杉の原生林を伐ります。すると、怒った半身半獣の森の神であるフンババが凶暴な姿になってギルガメシュを襲いかかるのです。しかし、人類が持っていた最新兵器である、金属(青銅)の斧でフンババは首を斬られてしまいます。とは言え、その代償として親友を失ったギルガメシュは、親友の為に死の世界へ旅立つのですが、何の成果も得られず、絶望して故国に戻って来るわけです。そこで彼は、神を殺して人間だけの国を作ろうとした傲慢を恥じ、自然破壊や生死のコントロールは、破滅への道だと遺言して死を迎えます。

ギルガメッシュ叙事詩と違い、アシタカはサンを失わず、絶望もしませんでしたが、まさに自然破壊と自然との共生という、テーマそのものだと言えます。

 

いかがでしたか。

現在では、縄文人が農耕していた形跡も発見されてはいますが、室町時代をモチーフに、自然破壊と共生という、人類社会が持つ問題を突きつけた作品が「もののけ姫」です。割りと細かい習俗や舞台設定などがされていて、難しい作品ではありますが、宮崎監督の想いが、作品を通じて伝わったなら、きっと監督も喜ぶ事でしょう。ぜひ、都市伝説を踏まえて、改めて「もののけ姫」を観ると、その印象も随分変わると想います。

 

まとめ

もののけ姫の都市伝説がひも解く☆
宮崎駿の7つの想い

・後のトトロがいた。
・タタラ場はハンセン氏病患者収容施設
・ナゴの守は何故タタリ神となったのか?
・山犬のモロと、もののけ姫のサンの関係は?
・アシタカはエミシ?
・シシ神とディダラボッチの謎
・着想は「ギルガメッシュ叙事詩」


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